詩子の演技 by 裏湘南瓦屋根物語

http://blog.livedoor.jp/hazy_jane/archives/50109905.html
昨日に引き続き笠木監督のブログより。

そんなこんなで、とりあえず微妙な感情をコントロールしなければならない芝居は要求せずにただ助監督の合図を見て笑顔を作ったりセリフを言ったりする演出にゆきついた。
1〜15話くらいまでは話がシンプルなこともあって、その程度の演技でも充分やっていけたのは全然不思議じゃない。不思議なのは、それ以降、話が重なるにつれ、プロットがだんだん複雑化していって、鈴木家と詩子の関係性にも何か家族のような愛情が生まれ始め、詩子に求められる表情も多様化していったのにもかかわらず、その手信号演出だけで、彼女の芝居が一発OKを多くしていったことだ。
(中略)
本当に圧巻なのは、最終回(撮影の最終日でもあった日)のときの詩子の表情で、みんなに対して「やっぱり帰る」と我慢して告げるときの表情は神々しいくらいに哀しそうだ。このときも彼女は、助監督の手を見て言っているのだ(このときばかりは僕も何か演出しただろうけれどそれほど細かいことはたしか言っていない)。
詩子はあの当時7〜8歳なのに、現場あるいは僕の雰囲気から、そのときに求められている感情を察知して、いわゆるテレビ的なくさい芝居をせず、目や口元のほんの小さな表情だけで針の穴を通すようにピタリと表現していた。
菅谷梨沙子ちゃんはその奇麗な容姿は言わずもがな、女優としての器ははかりしれないほど大きいんだなあと、昨日オーディオコメンタリーのチェックをしながら思った。

梨沙子の本質は「女優」だと前から書いてる私としては非常に嬉しいお言葉。ほたるの星にしてもそうだけど、彼女の演技は考えてのものではなく*1、本能で動いてるものだと思うんだよね。だから、計算しにくいんだけど、結果として計算以上のものが出来上がるんだと思う。

*1:もちろん、彼女は彼女なりに考えてると思う