真面目にお疲れ様でした

昨日の残念なコメント類はうっちゃって・・・
http://d.hatena.ne.jp/okabow/20061212
前にのぞみ主義のサイトが更新終了した際に掲示板などへ書き込む事もできなかったので、今回は自分の日記に書きます。
まずは、サイトの分も含めて長い間お疲れ様でした。
辻ちゃん」とモーニング娘。を好きになってから約3年間、ネットであちこち巡回はしていたものの自分から書き込んだりすることなくASA板やGMなどをROMったりはしてたのですが、そんな私が初めてハロー系のサイトに書き込んだのがokabohさんの管理していた絶対のぞみ主義でした。確か2004年の1月だったか2月だったか。内容は当時放送していた「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」の辻ちゃん登場の回の感想だったと思います。サイト自体はずっと以前から見ていましたし、ハローに関してはネット上でアクティブに行動することをどこか避けていたのですが、あそこの掲示板の持っているどこか暖かい感じと大人な感じ*1がやっぱり気に入ってたのだと思います。その後はちょくちょく書き込むようになり、また春くらいからポツポツと現場でも常連さんたちと(今でいう)馴れ合うようになりました。okabohさんと直接初めてあったのは・・・2004年春の娘。コンSSAだったかなあ。この時は確か20人くらいでヲタカラをやって色々な方と初めて会った記憶があります。okabohさんとは同い年なのですが、落ち着いた感じがやっぱり大手のサイトやってる人は違うなあと感じたものでした。
その後は、辻ちゃん加護ちゃんの卒業、Wとしての活動が本格化する中でオンでもオフでもお世話になりっ放しでした。私は途中から梨沙子及びBerryz工房へと軸足が移っていったのですが、その後も変わらず親しくしてもらってましたし、今でものぞみ主義時代からのヲタもだちは大切な友人です。絶対のぞみ主義というサイト名でしたが、実際にはのの一推しという人ばかりでなく、彼女を好きな人、もっと広く言えばハローを好きな人には門戸を広く広げた懐の深いサイトとそれを管理していたokabohさんの人柄が一番大きかったと思います。
そんなこんなで月日も流れ、okabohさんは今やすっかりかえぴょんヲタの第一人者(?)となった訳ですが、決して希美さんの事を忘れた訳ではないと思ってます。これは勝手な想像なんであれですけどね。ただ、やっぱりサイトを閉じたとはいえ「絶対」の看板を背負っていたのは大変だっただろうなと正直思うんですね。他にも「完全」の看板を背負ってる人を知ってますがそっちは置いといて、やっぱりこういう看板はいつか必ず重荷になると思うんですよ。哀しいけど人の思いというのは時と共に変化していきます。それは緩やかであれ、急であれ同じ状態でい続けるのは非常に難しい・・・というより、不可能に近い。ころころ変わるから「こころ」と言うんだとある人が昔言ってましたが、短期的にはその時の気分、体調、運(?)でも変わるし、長期的には環境、経験・・・その他様々な要因で人は変わっていきます。もちろん、その中でも確固たるものを持ち続けるのは大事なのですが、一つの事に固執する余り周りが見えなくなる*2のも問題だと思うんですよね。世の中には自分の知らない事がそれこそ一杯あって、それらに出会うきっかけがそこら中に転がっているのに、それから目を背けることは凄くもったいないこと。そもそも自分の中に自信があるなら例えそこに何があろうと動揺することはないはず。まあ、でも実際は得てして新しいものに目が行っちゃうんですが・・・と、話が横道にそれてるな。要するに何が言いたいかというと、趣味の世界なんだし気楽に行けば良いと思うんですよね。「絶対」とか言わずにね。ゆるゆると楽しめばいい。そう思うんです。まあ、私の場合、梨沙子に惚れちゃってるから浮気は出来ませんけどねw
ま、そんな訳でなんか話が後半グチャグチャになりましたが(^^;、今後もヲタ同士、楽しんで行きましょうね!また、現場でよろしくお願いします。いつか、希美さんの現場でまた連番しませうw

*1:昔、辻ちゃん加護ちゃんのサイトというと学生というか子供というかそういう雰囲気のサイトが多かったんですよね。正直、今よりは幾分?まともだった私にはついていくのはキツイなと思った事が何度もありました。実際問題のぞみ主義の住人は年寄り多かったもんねw

*2:あるいは意識的に見なくなる